「野球するなら こういう具合にしやしゃんせ…」
誰もが一度は耳にしたことがある、あのリズミカルなメロディーと掛け声。そして、負けたら服を脱いでいく……。宴会芸やテレビのバラエティ番組のイメージが強い「野球拳」ですが、皆さんはこのゲームの「本当の姿」をご存知でしょうか?
「えっ、野球拳って服を脱ぐゲームじゃないの?」と驚かれた方も多いかもしれません。実は、本来の野球拳は決して脱衣ゲームではありません!

この記事では、多くの人が誤解している「野球拳」の本当のルールをはじめ、大正時代に遡る意外な発祥の歴史、なぜ脱ぐイメージが定着してしまったのか、そして現在、郷土芸能として大盛り上がりを見せている姿までを徹底解説します。
これを読めば、次にあのメロディーを聞いたときの印象が、ガラリと変わるはずです。
1. 野球拳の基本:本来のルールと遊び方
まずは、本来の野球拳がどのような遊びなのか、その基本をおさらいしておきましょう。

おなじみの掛け声とリズミカルな動作
野球拳の基本は、三味線や太鼓のお囃子(または歌)に合わせて踊り、最後にじゃんけんで勝負を決めるという非常にシンプルなものです。
「野球するなら こういう具合にしやしゃんせ。アウト、セーフ、よよいのよい!」
このおなじみのフレーズに合わせて、ピッチャーがボールを投げる動作、バッターがバットを振る動作、そして塁審がアウトやセーフを判定する動作など、野球にちなんだ振り付けを楽しく踊ります。そして、「じゃんけんぽん!」の合図で勝敗を決めます。
本来のペナルティは「脱がない」!
最も重要なポイントは、負けても服は脱がないということです。
本来の野球拳において、じゃんけんに負けた人はどうなるのでしょうか? 当初は、負けたチームの代表者が交代したり、軽い罰ゲーム(お酒を飲むなど、当時の宴席のノリ)を受けたりする程度でした。現代であれば、負けた人が次の人に順番を譲る、ちょっとしたモノマネをするなど、あくまでその場を楽しく盛り上げるための健全なゲームなのです。
必要な道具もなく、2人から大人数まで、場所を選ばず誰でもすぐに楽しめる手軽さが、野球拳の本来の魅力です。
2. 意外な真実!野球拳の歴史と発祥
では、このユニークなじゃんけん踊りは、いつ、どこで生まれたのでしょうか? 実は、そのルーツは確固たる歴史を持っています。

誕生は1924年(大正13年)、愛媛県松山市
野球拳の発祥の地は、四国の愛媛県松山市です。誕生したのは、今から約100年も前となる1924年(大正13年)のことでした。
当時、伊予鉄道電気(現在の伊予鉄道株式会社)には、実力のある野球部がありました。この野球部が、香川県高松市にある高松商業(高松高商、現在の香川大学経済学部)との親善試合を行うために遠征した際のエピソードが始まりです。
試合後の懇親会(夜の宴会)において、高松側のチームが立派な隠し芸を披露しました。それを見た伊予鉄道の野球部員たちは「自分たちも何かお返しに芸をやらなければ!」と焦りました。
考案者・前田伍健氏の即興から生まれた!
そこで立ち上がったのが、伊予鉄道の野球部マネージャーであり、俳人・川柳家としても活動していた前田伍健(まえだ ごけん)氏です。
彼は即興で、当時流行していた「狐拳(きつねけん)」(お座敷遊びの一種)のメロディーやリズムをアレンジし、野球の動作を取り入れた振り付けと、「野球するなら…」の歌詞を考え出しました。これを部員たちに教え込み、即席の出し物として披露したのです。
これが大ウケし、懇親会は大盛り上がり。この夜の宴席の熱狂から生まれた即興の出し物こそが、野球拳の記念すべき第一歩だったのです。当時の日本は野球ブームの真っ只中であり、野球の動作を取り入れたこの新しい遊びは、時代背景にも見事にマッチしていました。
その後、野球拳は松山の花街の芸者衆によって洗練されたお座敷芸へと昇華され、レコード化やラジオ放送などを経て、全国へと普及していきました。
3. なぜ「脱衣ゲーム」のイメージが定着したのか?
健全な郷土の遊びとして生まれた野球拳。では、なぜ現在のように「負けたら服を脱ぐ」という強烈なイメージが全国に定着してしまったのでしょうか。

テレビ番組の強烈な影響
その最大の要因は、1960年代後半から1970年代にかけて放送されたテレビ番組の影響です。
特に決定打となったのが、1969年に放送が開始された深夜バラエティ番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』(日本テレビ系列)です。この番組の中で、萩本欽一さんと坂上二郎さんのコント55号が、女性ゲストとじゃんけんをして、女性が負けたら服を一枚ずつ脱いでいくというコーナー(「野球拳」コーナー)が大ヒットしました。
この「負けたら脱ぐ」という分かりやすくもセンセーショナルなルールと、テレビという強力なメディアの拡散力が合わさり、「野球拳=脱衣ゲーム」というイメージが日本中に爆発的に広まり、定着してしまったのです。
本家・松山の人々の複雑な思い
テレビの演出によって知名度が全国区になった一方で、発祥の地である松山の人々、特に野球拳を大切に受け継いできた関係者にとっては、非常に複雑な事態でした。
本来の郷土芸能であり、健全なコミュニケーションツールであったはずの野球拳が、お色気番組の代名詞のように扱われてしまったからです。「本家はそんなものではない!」という憤りや葛藤があったことは想像に難くありません。
4. 現在の野球拳:郷土芸能としての復活と進化
テレビによって作られたイメージを払拭し、本来の姿を取り戻すべく、そして新たな文化として発展させるべく、現在の野球拳は大きな進化を遂げています。
松山まつりでの熱狂「野球拳おどり」
その集大成と言えるのが、毎年8月に愛媛県松山市で開催される四国最大級の夏祭り「松山まつり」です。
現在、このお祭りのメインイベントとなっているのが「野球拳おどり」です。これは、少人数で行うじゃんけんゲームという枠を超え、何十人、何百人という連(チーム)が列を作って踊り歩く、大規模なパレードへと進化しています。

伝統の継承と現代風アレンジ
松山まつりでの野球拳おどりは、三味線に合わせて踊る伝統的な「本家野球拳」のスタイルはもちろんのこと、現代風にアレンジされたバリエーションも大きな魅力です。
ロック調やサンバ調など、アップテンポで激しいリズムにアレンジされた音楽に乗せて、趣向を凝らした衣装でダイナミックに踊るチームが数多く参加します。阿波踊りやよさこい祭りのように、熱気あふれる巨大なダンスフェスティバルとなっているのです。
「本家野球拳」を保護・継承する団体の活動も盛んに行われており、伝統を守りながらも時代に合わせて形を変え、老若男女が熱狂する郷土芸能として、見事に復活と進化を遂げています。
5. まとめ

いかがでしたでしょうか。
- 野球拳は負けても服を脱ぐゲームではない
- 1924年に愛媛県松山市で誕生した即興の出し物がルーツ
- テレビ番組の影響で脱衣ゲームのイメージが先行してしまった
- 現在は「松山まつり」のメインを飾る熱狂的な郷土芸能へと進化している
このように、野球拳には単なる宴会芸という言葉では片付けられない、深い歴史と熱い情熱が込められています。
次にどこかで「野球するなら こういう具合にしやしゃんせ…」のメロディーを聞いた時は、テレビのイメージだけでなく、大正時代から続く松山の熱気や、現在のお祭りで乱舞する人々の姿を、ぜひ思い出してみてください。


